<第25号>戦争か対話か - 日本の覚悟が問われる時

現在、アメリカおよびイスラエルによるイランへの軍事行動を受け、国際社会は大きな混乱の中にあります。

 イランの核開発問題は、国際的な核不拡散体制の観点から到底容認できるものではありません。

特に、1968年に採択された核拡散防止条約の理念を踏まえれば、その動向は国際社会全体の重大な関心事であります。

しかしながら、あらゆる問題を戦争という手段によってのみ解決することが果たして正当であるのかについては、納得できません。

 今回の攻撃は、アメリカとイランが協議を重ねている中での出来事だっただけに、これらの協議が時間稼ぎに過ぎなかったのではないか、あるいは当初から軍事行動ありきであったのではないかという疑念が、世界各国で広がっているのも事実であります。

 歴史を顧みれば、国内問題が深刻化した際、為政者が外部に敵を求めるという事例は少なくありません。

現在のアメリカにおいては、「エプスタイン文書」騒動に見られるような富裕層への政治・社会的議論が再燃している。

また、イギリスにおいても、王室の透明性を巡る議論が続いています。

このような状況下で、仮にトランプ大統領がイランへの攻撃によって国内外のメディアの焦点を戦争へと移すことを意図したのであれば、その背景には相応の政治的判断があったと見る向きもあるでしょう。

しかし、そういったことは絶対にあってはならないことでもあります。

 このような国際情勢の中で、日本は冷静かつ節度ある対応を取らなければなりません。

高市総理は、国際法上の問題にも十分配慮しつつ、アメリカの軍事行動を無条件に支持するとも明言していません。

この姿勢は、日本の総理大臣として妥当かつ責任あるものであり、評価すべき態度であります。

 一方で、小泉防衛大臣が早期にアメリカ支持を表明したことについては、国家の指導者になる為の資質と立場と重みを改めて考えさせられる事例であります。

総理大臣たる者は、単なる同盟国への追随ではなく、国益と国際秩序の双方を見据えた判断を示さなければなりません。

 日本は日米安全保障条約に基づき、アメリカとの同盟関係を安全保障の基軸としています。

この条約は、わが国の防衛にとって極めて重要な枠組みであります。

しかしながら、それのみをもって外交の立場を定めるならば、日本は単なる追随国家に甘んじることになりかねません。

 日本は、アメリカの属国であってはなりません。

しかし同時に、アメリカを突き放すことも賢明ではありません。

必要なのは、同盟国として率直に意見を述べ、共に考え、共に責任を担う関係を築くことであります。

アメリカが「日本の提言であれば共に検討しよう」と思うような国家へと成長することこそ、「強い日本」の真の姿でありましょう。

 さらに、日本の原油輸入の9割超は中東地域に依存しています。

中東はわが国経済の生命線であり、その安定は国益に直結します。

かつて安倍晋三元総理大臣が、いかなる情勢下においてもイランとの対話の窓口を閉ざさなかったことは、中東諸国から高い評価を受けました。

外交とは、自らの立場のみで物事を決するのではなく、長期的な信頼関係を築く営みであります。

 今回の情勢においてこそ、日本は国際社会と連携し、沈静化と対話の再開に向けて主体的役割を果たすべきであります。

それが、我が国の尊厳を守る道であります。

 また、日本国内で生活するイラン出身の方々をはじめとする外国人住民の安全と尊厳を守ることも、法治国家として当然の責務であります。

国際紛争の影響が国内における偏見や差別へと転化することがあってはなりません。

 この戦争が一日も早く終結し、外交による解決の道が再び開かれることを強く願います。

そして日本が、その架け橋となる役割を果たすことを、心から期待します。

日本ならできる。

必ずできる。

国民が期待して選んだ高市総理だったはずです。

国会で3分の2の力を与えられた総理大臣だからこそ、しっかりとアメリカと向き合うことができると思います。

株式会社 沖縄ファースト政策研究所
所長    下地 幹郎