<第4号>沖縄の歴史に学び、未来を拓く

株式会社沖縄ファースト政策研究所の所長・下地幹郎は、出版のための原稿を書いています。

早ければ今年中に出版したいと考えておりますが、今回のメルマガは、その原稿の一部、さわりの部分を紹介したいと思います。

私はこの本で、「島津の琉球侵攻」「明治・大正・昭和戦前期」「沖縄戦」「米軍統治下」「復帰後」と、大きく5つの時代に分けて、沖縄を考えています。

1609年の島津の琉球侵攻から259年間にわたり、沖縄は島津の支配下に置かれました。

逆らうことが許されない「掟十五条」の下、厳しい統制下におかれたのです。

明治になると、琉球処分によって琉球王国は正式に廃止され、沖縄県が設置されると、日本政府は同化政策を本格化させます。

土地制度・税制・徴兵制度をはじめ、日本の法制度が沖縄に導入され、教育制度も本土式に整備されました。

「琉球の特異さ」を抑えるため、沖縄の方言や風俗・習慣を“改良”の対象とし、「忠君愛国」思想を基盤として皇民化が進められ、本土との差別的な扱いが制度として組み込まれていきました。

大正期には砂糖価格の暴落が農村経済を直撃し、「ソテツ地獄」と呼ばれる経済恐慌に襲われました。

県民の暮らしは非常に困窮し、働き口を求めて、本土・海外へ移民・出稼ぎに行く人が多数を占め、沖縄は“移民県”とも呼ばれました。

こうした状況は、沖縄の産業基盤が非常に脆弱であり、経済的自立が困難であることを露呈するものでもありました。

昭和に入ると、日中戦争・太平洋戦争の時期にはさらに皇民化が徹底され、国家の戦争動員に沖縄も巻き込まれていきます。

「沖縄戦」では4分の1もの県民が命を失い、戦後の荒廃は建物のみならず社会構造・人々の精神にも深い傷を残しました。

戦前期の昭和には、沖縄振興策が掲げられたものの、それは遅れた近代化に対する“遅れを取り戻す”ための手立てであり、本土と比べて十分とは言えず、差別・偏見の壁は依然として厚かったのです。

こうした歴史を紐解く中で、私は、現在の沖縄に必要なのは「従属からの脱却と尊厳の回復」だと考えています。

島津の琉球侵攻の時期から、明治・大正の同化策、昭和初期の経済的不安や戦争による破壊を経て、戻せないものを取り戻すには、「他者の基準に合わせる」だけではなく、「沖縄自身の歴史・文化・価値を自らの軸にして生きること」が求められています。

貧困が長く根深く残るのも、所得格差が是正されないのも、明るい未来が描けないのも、その歴史的な従属と“自分で戦って勝ち取る”という発想が十分に育たなかったことと無関係ではありません。

だからこそ、これからの沖縄は、研究や政策提案をする際に数字を並べるだけでなく、どう戦って、どう社会構造を変化させていくかという戦略を持たなければなりません。

沖縄ファースト研究所は、ただ資料を積む研究所ではなく、沖縄が主体となって「尊厳を取り戻し、自立する道」を戦略的に描き、実践する研究所でありたいと考えます。

他人任せにするのではなく、自分たちで動き、自分たちで勝ち取る。

それが、いつまでも貧困に縛られず、沖縄の個性が輝き、未来が明るくなる道です。

株式会社 沖縄ファースト政策研究所

所長 下地 幹郎