<第3号>やめる勇気、やめない勇気-政治の責任とは何か-
今の日本の政治において、「やめる勇気」と「やめない勇気」が混在し、不可解な状況が生まれています。
辞職すべき人物が職にとどまり、辞める必要のない人物が責任を取って辞める。
こうした逆転現象こそが、政治に対する国民の不信感を増幅させているのではないでしょうか。
先の参議院選挙では、立憲民主党と日本維新の会の両党が明確な敗北を認めました。
それ自体は政治的誠実さとも言えるかもしれませんが、その後の「責任の取り方」は、果たして妥当だったのでしょうか。
日本維新の会では、前原誠司共同代表が辞任し、新たな執行部が発足することとなりました。
しかし、党内で最も大きな影響力を持つ吉村洋文共同代表は職に留まったままです。
権限を有する人物が責任を取らず、共同代表の一人だけが辞任する。
このような責任の取り方が、果たして国民の理解と信頼を得られるものと言えるでしょうか。
また、立憲民主党でも、野田佳彦代表は辞任せず、幹事長をはじめとする執行部を刷新するに留まると表明しています。
選挙結果を「敗北」と自ら認めた党の代表が、その座に居座り続けるという構図は、日本の政治における無責任体質を象徴しているようにすら思えます。
第一野党と第二野党がこのような対応に終始する限り、政権交代を実現するようなダイナミズムは生まれません。
政治が変わる契機を、国民はいつまで待ち続ければよいのでしょうか。
もし、日本維新の会の吉村代表自らが責任を取って辞任し、その役割を大阪以外の地域出身の新しいリーダーに託したならば、党の全国政党化は、より現実味を帯びてくるでしょう。
また、立憲民主党の野田代表が責任をとって辞任し、その後の代表選で改めて信任を問う姿勢を示せば、国民に対して責任ある野党としての信頼を深める契機となるはずです。
それができない野党に、政権奪還は果たして可能なのでしょうか。
いや、それができないからこそ、「与党を倒す力」が育たないのです。
一方、自民党においては、石破茂総理が責任を取って辞任しました。
しかし、ここでも「政治とカネ」の問題の本質は置き去りにされています。
この問題の根源にあるのは、安倍派を中心とした自民党幹部による体質的な問題であり、それが今日の混迷を招いているのは明らかです。
皮肉なことに、「安倍派から最も距離のある存在」であった石破元総理が、安倍派の責任を一身に背負うかたちで辞任に追い込まれるという構図は、極めて理不尽であり、政治の構造的欠陥を浮き彫りにしています。
総裁選を前にして、「石破おろし」の声が高まるならば、それを正面から受け止め、堂々と解散総選挙に打って出る覚悟があって然るべきではないでしょうか。
かつての小泉純一郎総理がそうであったように、党内の既得権益に斬り込む姿勢こそが、新しい自民党を示すものだったはずです。
表面上だけのリーダー交代で、旧体制が裏から支配を続ける限り、自民党の真の刷新はあり得ません。
では、なぜ石破総理は「受けて立つ」政治を実行できなかったのでしょうか。
結局のところ、最後に問われるのは政治家としての覚悟、そして精神的な強さであるのかもしれません。
解散総選挙に打って出て、「必ず勝つ」という決意を国民に示せる総理こそが、日本を真に変革へと導くことができるのです。
現在の日本政治の姿、「辞めるべき人が辞めず、辞めなくてよい人が辞めるという倒錯した構図」こそが、日本が前に進めず、成長できない最大の原因ではないでしょうか。
私たちは今、政治の真価が問われる時代に生きています。
「やめる勇気」と「やめない勇気」。
その選択一つ一つが、国家の未来を左右するのです。
株式会社 沖縄ファースト政策研究所
所長 下地 幹郎


