<第37号>沈黙から始まる責任
政治において大切なことの一つに、「静かに見守る」という姿勢があります。
米軍普天間飛行場の辺野古移設への抗議活動の中で起きた船の転覆事故で、高校生の尊い命が失われた痛ましい事件について、私たちは二度と同じことを繰り返してはなりません。
「学校現場における平和学習のあり方」「旅客事業に対する安全管理・監督のあり方」「抗議活動に使われる船が辺野古漁港を利用していたという港湾利用のあり方」いろんな疑問が浮かび上がる中、まだまだ実態の把握はできていません。
様々な疑問について、感情論だけではなく、事実に基づいて早急に検証し、法的・制度的な結論を導き出す必要があります。
そして、二度と同じ悲劇を起こさないために、それを実行していくことが大切です。
事故の実態が解明されてない中で、文科省が大きな決断をしました。
そのことで、問題は完全に政治課題となったのです。
文科省が下した判断は、大きく次の2点です。
1.安全管理が「著しく不適切」だった
2.研修内容が教育基本法の「政治的中立性」に反すると判断した
特に後者が大きな論点になっていくことになります。
文科省は2026年5月22日、学校側が辺野古移設反対運動で使われていた抗議船に生徒を乗せ、特定の政治的立場に偏った学習を行ったとして、教育基本法14条2項(政治的活動の禁止)に抵触すると認定しました。
これは「教育内容の政治的中立性違反」を、国が個別案件について政治的中立性に踏み込んで判断した極めて異例のケースです。
私の考えを改めて申し上げますが、捜査機関の結論が出ていないこのタイミングでの文科省の判断には政治的な意図を感じる人も少なくないのではないでしょうか。
「波浪注意報が出ていた」「使用船舶が適切な旅客登録をしていなかった」「学校側の下見や安全確認が不十分だった」「生徒に舵を触らせたのではないか」などの新たな情報が出続けている段階だからです。
しかし、玉城デニー沖縄県知事は「文科省の判断は踏み込みすぎではないか」という批判をしています。
知事を支持する勢力とも関係の深い抗議活動の現場で起きた事件であることを考えると、この文科省の判断についての批判コメントは、いま出すべきはないと思っています。
当事者としてもう少し時間を置いて沈黙の中から始めることが、「1人の未来ある高校生が亡くなったことを重く受け止める」ということになるのではないでしょうか。
まずは沈黙から始める対応こそが、この事件の重要性を認識していることになるからです。
この事件については、SNS上でも、多くの激しい意見が飛び交っています。
しかし今は、静かに故人を悼み、捜査の結果を見守ることも大切ではないでしょうか。
国会議員、地方議員など、多くの政治家が現地で手を合わせ、その様子をSNSに掲載しています。
しかし、それも今このタイミングで行うべきことなのでしょうか。
実は私自身も、過去に同じように献花や黙祷している写真をSNSへ掲載したことで、大変厳しいご指摘を受けたことがあります。
「手を合わせる行為を、自分の発信やアピールに使うべきではない」そのようなお叱りでした。
私は決して、パフォーマンス的な意図があったわけではありませんでした。
しかし、受け取る側にはそう映ってしまうことがあるのです。
そのことについて、私は謙虚に反省しました。
だからこそ今は、パフォーマンスは控え、静かに見守る姿勢が必要なのではないかと思います。
この事件には、多くの問題点があり、公的役割を担うべき人達がその役割を果たしていなかったことが致命的なミスにつながったことは明らかです。
だからこそ捜査の行方を冷静に待たなければいけないのです。
玉城知事も、支援母体がこのような極めて深刻な事件を起こしたことについて謙虚に受け止め、猛省すべきです。
彼らの前でマイクを持って激励の演説をしていたのですから。
この事件を政治的なパフォーマンスに利用してはいけない。
今は冷静に見守るときです。
株式会社 沖縄ファースト政策研究所
所長 下地 幹郎


