<第41号>全戦没者追悼式での知事の「平和宣言」はこうあるべきだ!

6月23日、私たちは戦後81年の慰霊の日を迎えました。

慰霊の日は、ここ沖縄の地で二度とあの悲惨な戦争を繰り返してはならないという強い決意を、県民一人ひとりが胸に刻む日です。

そして同時に、81年前に沖縄が経験した凄惨な戦争が、世界中のどこでも起こらないようにと願い、平和への思いを沖縄から世界へ発信する日でもあります。

私たちは今日、改めて確認し合いたいと思います。

「正午に黙とうを捧げましたか」

「家族で平和について語り合いましたか」

「職場や地域で平和について考える時間を持ちましたか」

沖縄全戦没者追悼式が行われた摩文仁に来ることができなくても、それぞれの場所で平和への思いを共有し、確認し合うことが大切です。

その一つひとつの行動が、平和を守る大きな力となるのです。

大人たちの平和への願いは、子どもたちの心へと受け継がれます。

そして孫たちへ、そしてさらに新しい命へと受け継がれていきます。

平和を次世代へ継承していくことは、決して簡単なことではありません。

しかし、だからこそ私たちは、小さなことでもいい、一歩を踏み出さなければなりません。

沖縄県民一人ひとりが、平和のために行動することを求められているのです。

沖縄戦から、まだ81年しか経っていません。

戦火の中で生きることを願い、苦しみ、もがき続けた人々の声は、今も私たちの耳元に響いています。

6月23日、どれほど暑い日であろうと、どれほど蝉の声が大きく響こうと、その声は決して消えることはありません。

「戦争を繰り返してはならない」

「命の尊さを忘れてはならない」

その切実な願いが、私たちに語りかけ続けているのです。

全国の皆さまに申し上げます。

6月23日は沖縄県だけの慰霊の日ではありません。

沖縄戦では、沖縄県民のみならず、全国47都道府県から沖縄へ赴いた日本兵の多くが、この地で命を落としました。

沖縄を守るため、日本を守るため、それぞれの故郷を後にして沖縄へ向かった方々の御霊も、この沖縄の地に眠っています。

そして、国の命により沖縄へ送られ、この地に眠るアメリカ兵もいるのです。

だからこそ、慰霊の日は、全国民が共に平和について考え、祈り、行動する日であってほしいと願います。

沖縄で起きた悲劇を忘れないこと。

戦争によって失われた数多くの尊い命を忘れないこと。

そして、全国民の皆様がその記憶を未来へ語り継ぐことを、沖縄県知事として強く望みます。

それこそが、戦争を二度と起こさないという私たちの誓いにつながります。

沖縄から発する平和への願いが、日本全国へ、そして世界へと広がることを心から願います。

国籍や民族、宗教や思想の違いを超え、人類が共に手を取り合い、争いではなく対話を選び、憎しみではなく思いやりを育む世界を築いていかなければなりません。

沖縄は戦争の悲惨さを知る地だからこそ、平和の尊さを世界に伝える使命があります。

6月23日。

この日を、過去を悼むだけの日ではなく、未来の平和を誓う日として、全国の皆さまと共に歩んでいきたいと思います。

沖縄から世界へ。

恒久平和への願いを、今こそ力強く発信してまいりましょう。

81年前の6月23日、沖縄戦は組織的戦闘の終結を迎えました。

しかし、沖縄県民にとって戦争はその日で終わったわけではありません。

戦後、沖縄は日本本土から切り離され、1945年から1972年までの27年間、アメリカの施政権下におかれました。

私たちは祖国・日本への復帰を願いながらも、戦争がもたらした深い傷跡と苦しみの中で生きることを余儀なくされたのです。

アメリカ統治下に置かれた沖縄は、冷戦構造の中でアジア最大級の米軍基地群を抱える地域となり、日米安全保障体制を支える重要な軍事拠点として位置付けられました。

しかし、その役割は、沖縄県民が自ら望んだわけではありません。

国家の安全保障政策の中で、沖縄はその役割を担わされてきたという歴史があります。

そして、その負担は今日も続いています。

現在、日本に存在する米軍専用施設面積の約70%が沖縄県に集中しています。

国土面積に占める沖縄県の割合がわずか0.6%であることを考えれば、この現状がいかに偏ったものであるかは明らかです。

私たちは問いかけなければなりません。

このような安全保障のあり方は、日本にとってよりよい姿なのでしょうか。

沖縄だけが過重な負担を担い続けることが、日本という国家のあるべき姿なのでしょうか。

政府、国民は、この現実と真摯に向き合っていただきたい。

そして全国の皆さんにも、沖縄に安全保障を任せるのではなく、自ら何ができるのかを考えていただきたい。

沖縄の過重な負担の歴史は、1945年の沖縄戦、そして日本の敗戦から始まりました。

それから81年。

沖縄は戦争の犠牲となり、その後も基地負担という重い責任を背負い続けてきました。

この状況を放置し続けることは、国家としての責任を果たしているとは言えません。

私たちは、戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない。

そして同時に、平和を願うだけではなく、平和を実現するための責任を全国民で分かち合わなければなりません。

沖縄戦で失われた20万人を超える尊い命、苦難の歴史を歩んできた沖縄県民の思い、そして平和を願い続ける先人たちの声に応えるためにも、今こそ日本全体で沖縄の課題に向き合う時です。

平和は誰かに任せるものではありません。

沖縄だけに背負わせるものでもありません。

平和は日本国民一人ひとりが考え、行動し、守り抜いていくものであります。

広島県、長崎県は、人類史上初の原子爆弾による惨禍を経験した地として、長年にわたり「核兵器のない世界」の実現を世界へ訴え続けてきました。

その不断の努力は、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約の採択を後押しする国際世論の形成に大きく貢献しました。

沖縄もまた、日本国内で唯一の地上戦を経験し、20万人余の尊い命が失われた地として、戦争の悲惨さと平和の尊さを世界へ発信する使命を担っています。

私は、平和を守る取り組みを、国だけに任せる時代ではないと考えています。

地方自治体には地方自治体の責任があり、地域には地域の役割があります。

国境を越えた平和交流、人権の尊重、核軍縮の推進、そして非核三原則の堅持など、自治体同士が連携しながら取り組むべき平和活動は数多く存在します。

広島、長崎、そして沖縄。

この三県は、それぞれ異なる戦争の悲劇を経験してきました。

しかし、その根底にある願いは一つです。

それは、「二度と戦争を起こさない」「二度と核兵器を使わせない」「未来の子どもたちに平和な世界を引き継ぐ」という強い決意であります。

沖縄県はこれからも、平和を希求する世界の人々と連帯し、広島・長崎をはじめ全国の自治体とも力を合わせながら、核兵器のない世界の実現と恒久平和の構築に向けて積極的に行動してまいります。

戦争を知る世代が少なくなる今だからこそ、私たちは語り継がなければなりません。

沖縄戦の記憶を。

広島・長崎の被爆の記憶を。

そして、平和の尊さをつないでいきます。

私たちには、今なお解決しなければならない多くの戦後課題が残されています。

戦時遭難船舶問題、遺骨収集問題、各地に建立されている慰霊碑の保存・継承問題、戦争体験の継承問題など、平和という尊い言葉を語りながらも、その思いを次の世代へ十分に伝えきれていない現実があります。

だからこそ私たちは、その現実を真摯に見つめ、一つひとつの課題に向き合いながら、具体的な行動を積み重ねていかなければなりません。

平和は願うだけで実現するものではありません。

平和は、自ら学び、自ら行動し、自ら築き上げていくものであります。

私はここに、沖縄県民とともに、平和を理念として語るだけではなく、平和を実体験として創り上げていく強い決意を表明いたします。

本日、総理大臣をはじめ、多くのご来賓の皆さまにご参列いただき、令和8年沖縄全戦没者追悼式を執り行うことができましたことに、心から感謝を申し上げます。

しかし、この慰霊の日は単なる年中行事であってはなりません。

毎年6月23日が訪れるたびに、私たちは「この一年で平和のために何を成し遂げたのか」「次の一年に何を行うのか」を確認し合う日でなければなりません。

慰霊の日を、過去を振り返るだけの日ではなく、未来への責任を誓う日としていかなければなりません。

本日ここに集われたすべての皆さま、そして全国、世界の平和を願う人々と心を一つにしながら、私は沖縄から平和宣言を発信いたします。

戦争を二度と起こさない。

核兵器を二度と使わせない。

人間の命と尊厳を何よりも大切にする世界を築いていく。

その決意を未来の子どもたちへ、そして世界へと引き継いでいくことを、ここに固く誓います。

沖縄から世界へ。

恒久平和への願いと行動の輪を広げ、人類が争いのない未来を築くために歩み続けることを、ここに宣言いたします。

※今回のメルマガは、沖縄全戦没者追悼式で沖縄県知事が宣言する「平和宣言」について、下地幹郎が考える「真の平和宣言」を書きました。

株式会社 沖縄ファースト政策研究所
所長    下地 幹郎